【ブログ】AIとの差別化はシニアがお得意⁉ AIスピーカーに感じるもやもや

「AIスピーカー」の話題が盛り上がっていますね。私たちの日常生活の中にある「コミュニケーション」の大部分が、今や「機械」を通じて行われているので、これぐらいのものが出てきても、もはや驚きなどないかもしれません。

 

ちょっとお恥ずかしい話ですが、以前、我が家の子供たちのスマホの使い方が尋常でなかったので、激オコしたことがありました。

「人生で最も感受性が高い時期に、スマホの小さい画面だけに閉じこもっているなんて、勿体なさ過ぎない? 道具に使われいて、自分をすり減らしてないの?」

昭和のお父さんの声がどこまで通じたかは分かりませんが、彼らなりに思う事はあった様子。自分自身も、改めて、デジタル・コミュニケーションについて、色々と考えをめぐらすきっかけになりました。

 

そんな折に見つけた本がこちら。

『一緒にいてもスマホ』シェリー・タークル著

(Reclaiming Convesation The Power of Talk in a Digital Age)

 

曰く、”会話を取り戻すことが、人間のいちばん基本的な価値を取り戻す第一歩”,”今の私たちは沈黙から逃げてばかりで、それを味わおうともしない”,”スマートフォンのアプリケーションは…私たちの注意を奪って利益を得ているのだ”

 

このような主張には、恐らく反対意見が凄く寄せられると思います。

「進歩を積極的に受け入れられない、昔は良かった派」「マイナス面だけに着目してプラス面(可能性)を否定する偏屈」等々。

 

でも、昭和のお父さんは、著者のシェリー・タークル氏に激しく同感です。特に、この見方。

”私たちは機械相手に真剣に本物そっくりの会話をする方法を学習しているのだ”

そうなんです。”周りの人が話を聴いてくれないから”、”沈黙の時間に耐えられないから”等と言って「機械」に解決を求めることは、その状態を避けて慣れるだけのこと。ちょっと不快な状態を受け入れる寛容さの先にある人間通しのつながりが無くなるとしたら、それは他人への無関心。マザーテレサの言う、「愛」の反対の状態になるわけですよね。

 

テクノロジーの進歩による、新しい可能性に関して、目をつむる必要は全くないと思いますが、便利だからというだけで失っている大切なものに気づかないのも問題ですよね。

AIスピーカーに「愛」を感じる前に、隣人を愛せる能力が身についているかを確認してみたほうが良いような気がします。

その点、面倒くさい方法で「愛」を得ようと失敗を重ねてきた、今のシニア世代。AIとの差別化にはもってこいの経験を沢山積んでいるのではないでしょうか…愛ある楽観主義でそう思います。