「人生100歳時代」が花盛りの様子です。
書籍、雑誌、セミナー、SNS…話題にならない日はないくらい。
”Age100.ing”(人生幾つになっても進行形)を標榜する身としては、ありがたいことなのですが、取り上げ方でちょっと気になるところも。
代表例が「老後破産」とか「下流老人」といった”長生きリスク”を煽る内容。あるいは「切れる老人」とか「逃げ切り世代」とかいった”社会のお荷物”的視点での物言い。
そりゃぁ、だれだってこれからの人生が不幸になんかなりたくないし、惨めな生活なんてしたくないでしょう。漫然とした不安は持っていて当然なんです。だから「老後資金は3000万円では全然足りない!」とか言われちゃった瞬間にどぎまぎしちゃうんです。
そうなると「今より悪くならないよう」に、真面目にこれから先の人生を考えている人ほど、何とか自分の力で”守ろう”という意識が働くことになります。もっと進むと「自分だけはそうはなるまい」と努力しだしちゃう。
うーん。これって「残高」で人生を生きるってことですよね。
「コップの水が半分の比喩がいまひとつなわけ」
「コップの水が半分となった時、あと半分しかないと思う人と、まだ半分もあると思う人がいます」ってお話はご存知ですよね。人生100歳時代としては、”まだ半分”ってことで前向きに! って話の比喩として使われるネタです。でも、”あと半分”も”まだ半分”も、結局「残高」での発想のような気がします。
だって、コップに溢れんばかりの水をこれから注ぐって選択肢だって、あっていいわけですよね~。少なくとも、そんなイメージもっても良いのではないかと。今あるものだけでなく、これからどんどん付け足す。こんな「足し算」の姿勢が、幾つになっても進行形の一つではないかと。
ということで、人生100歳時代はまだまだコップに「注ぐ」と。それも水だけでなくてアルコールとか。
…これだと、”飲み過ぎ注意”には気を付けないといけないかもですけどね(^^;)