【起業】正直、(プレシニア)起業ってどうなの(時間編②)

「自由時間が意外に少ないこと」 ネット調査による”起業して困ったこと”の上位項目

起業してから、いただくコメントの一つに、「自由に時間が使えて羨ましいです」というのがよくあります。

実際に、自分で予定を立てないと、何も進まないというのは本当で(参考:時間編①)これを指して”自由”というなら、まさにその通りです。けれど、自由に使えるかというと意外にそうでもないです。

雑事、細事に忙殺されるということもありますが、実は思った通りにスケジュールが組めないからなんです。

 

自分でアポイントの時間はなかなか指定できない 

起業仕立ての頃は特にですが、毎日が営業(普及?)活動のようなもので、面と向かってお話を聴いていただけるような機会があれば、飛んでいきますと言う感じ。「就業時間が終わってから」「土日なら」と、”お仕事”の時間以外を頂戴するところから始まるわけです。こちらは”仕事”のつもり満々ですが、相手の方からすれば当然です。

ということで、大概の予定は企業で働いている頃とは違う時間帯に入ります。しかも、こうした時間帯のアポは、「ごめんなさい会議が伸びちゃって」「家族から急に頼まれて」「プライベートな行事が入って」と、リスケになったりキャンセルされたりする確率が高いわけです。スタンバイしていたのに突然時間ができる(暇になる)。好きに使えそうで使えない時間が増えるという感じでしょうか。

 

じゃぁ美術展でも行ってみるか

予定通りにならないケースが日常になってくると、時間に対する考え方が、企業勤めの頃と変化していることに気がつきました。

まずは臨機応変さ。ぽかっとあいた時間に対して、「よっしゃ~」と思えるように(思うように努めるように)なりました。「この時間、ぼけっとしよう」とか、「おっとじゃぁ気になってた美術展にでも行ってみるか」とか。ともかく「なんだよ折角予定してたのに~」とネガティブに考えることはしないようになります。

そして、「時間」の長さとできる中身を意識するようになったこと。「1時間あれば、お茶と軽く読書はできる」「3時間あれば映画いけちゃうな。まてよ真面目にプレゼン資料一つ作れるな」「半日あいたから実家に顔出しておくか」…。これぐらいの時間があれば、あれはできる、これは無理みたいなことが、何となく整理されてとっさにイメージできるようになります。

 

 

スケジュールを忘れては元も子もない

起業して、時間を「資産」として考えるようになったと言うと大袈裟ですが、どう使おうかと積極的に考えるようになったのは間違いありません。

こんな感じで、時間に対する考え方が変わり、これは良いわいと、実は自画自賛していたのですが、先日やらかしてしまいました。アポイントをすっかり翌日と取り違えてすっぽかしてしまったのです! 臨機応変が行き過ぎて、相手の時間をいただくというところが、すっぽり抜けていました。時間はどちらにとっても大事な資源。超反省。

 

起業の実態② (自由)時間は増えないが時間の使い方に関して幅が広がる

 

 

 

【起業】正直、(プレシニア)起業ってどうなの?

”年金受給開始 70歳超も 高齢者に就労促す” 日本経済新聞 2018/1/17より

「いやぁ参ったなぁ。少なくとも70歳までは働き続けなきゃいけないってこと? 雇ってくれるところなんてあるのかなぁ…」

お国の政策にも、いよいよ人生100歳時代が色濃く反映されてきました。多くの”大企業”には定年制度があるのに、「その先も頑張ってね」って言われても、一体どうすればいいのか? 不安にもなります。

”ハローワークに高齢者の再就職支援の窓口を増やしたり、起業をめざす高齢者を事務手続きや融資の面で支援したりする…”ことだそうで、サポートはお国のほうでも多少は考えてくれている様子です。

とは言え、「定年後ってどうなってんの? 起業するってどんな感じなの?」…って辺りが、現役の今この時点で多少なりとも自分でイメージできないと、どう動くか、何を支援してもらえばよいのかも分かりません。

ということで、私自身の(プレ)シニア起業の実態に加えて、周りの方々のご様子を、硬軟合わせて(キラキラからしくじりまで)今後こちらで、適宜ご紹介していこうと思います。

 

「定年後」の巷に溢れる情報は全て赤の他人の話です

あれれ、いきなりとんでも無い話をしだしたと思われますよね。「紹介とか言っておきながら、どういうつもりだよ!」と叱責もいただきそうです。でも、ここはしっかりお伝えしたいです。ロールモデルとかシミュレーションモデルとかに自分の「正解」はないのです。

いえいえ、巷の情報が参考にならないと言っているわけではないのです。あくまでも「参考」にとどめてくださいということです。人生のシナリオは自分で決めて描くもの。決して、他人様の書いたものを演じるわけではないということです。

 

年間のカレンダーが書けない!

偉そうな事書きましたが、実は起業したての頃にあまりに情けない自分に気づいたからこそなんです。

年末に翌年のカレンダーに「休日」をどこに設定するかを決めて記入するのが、個人的恒例行事になっていたのですが、起業して初めての年末に(わが社の創業記念日は12月12日ですw)その行事をしようと思ったら、はたと手が止まってしまったのです。

「あれ? 私、いつ働いて、いつ休むの?」

会社勤めの頃は、年間スケジュールなるものが配られ、そこに土日他の休業日が明確に示されているわけです。つまり、働く日時は会社が決めてくれいたんですね。この状態に慣れ親しんでいた自分は、自分の会社のスケジュールすら満足に決められなくなっていたわけです。赤の他人に、完全に委ねているなぁと思い知らされました。

実は後日談があります。先輩起業家の方にこの体験談をしたところ、「起業して休日からスケジュールしようとする発想自体がとんでもないよね」と大笑いされました。確かにそうですよね。

 

起業の実態① スケジュールは自分が決めないと誰も決めてくれない

こちら、実は定年後も一緒なので念のため(笑)

【ブログ】実行することが楽しくない「計画」は立てたくない

一年の計は元旦にあり

新しい年に今年の誓いを立てる。とってもよい風習ですよね。

「やりたいこと」を計画して宣言すると、俄然、現実味を帯びてきてその気になってくるものです。

勿論、三日坊主という言葉もある通り、なかなか実行し続けることは難しいものですが、途中で挫折しちゃうのは、元々「”そそられない”のだけれど、一応言っておくか」的な計画を立ててしまったためというケースが多いのでは。

事業計画も一緒ですよね。ここが単なる目標と計画の差だと思います。目標はあくまでも結果評価のためのメジャーメント(尺度)。計画はまさにアクションプランで、実行する内容を明示するもの。実行することが楽しいと思えるような内容になっているかどうかが大切です。

 

という事で、弊社志事創業社の今年の「計画」ですが…

その壱:

「美しい」ビジネス創出のためのサポートを具体化します!

その弐:

プレシニア・シニア世代に「起業」を選択肢に加えてもらう活動を実施します!

その参:

世代の異なる(20歳以上)国内外のメンバーと協働イベントを実施します!

 

まずは収まり良く、三つに絞ってみました。

え? てんで具体的でないと?  そこはこうご期待ということで(笑)

【ブログ】後継者を育てたいなら自分が身を引く -神々がお集まりの出雲で感じたこと③-

「小規模多機能自治」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? 小規模多機能自治推進ネットワークでは、

小規模ながらも、様々な機能をもった、住民自治の仕組み。 言い換えると、概ね小学校区 域において、目的型組織や地縁型組織等のあらゆる団体が結集し、地域課題を自ら解決 し、地域運営を行う仕組み。

と定義しています。実は、雲南市はそのリーダー役。今回の訪問でその取り組みをスーパー公務員である板持さんや、一般社団法人スクナヒコナの浜崎さん、鍋山交流センターの秦さんらに、じっくりと伺ってきました。

「後継者を育てないなら自分が身を引けばよい」

それでなくても人口の少ない地域で様々な活動を積極的にしていこうと思えば、後継者の育成は一つの大きな課題と思っていましたが、質問への答えがこれでした。

最初、その意味が分かりかねましたが、ポイントは、「後継者をどう育てようなんか言っている暇があったら、まず自分が動く。それを見て、本気で動く人が出て来たら任せて、自分は新しい別の何かを目指す」ということかと。つまり後継者育成なんてことを言っている人に限って、自分が何もしないか、あるいはやり過ぎて周りの人の成長を妨げているということなのではないかなぁ。

 

地域で活躍している方からのこうしたお話が、本当に響きます…。

【ブログ】一人のお客様から始まる -神々がお集まりの出雲で感じたこと②-

世界に誇るべき日本の企業が、人口400人ほどの島根県太田市大森町にあることを、今回の訪問で初めて知りました。

中村ブレイスさんは義肢装具の会社。ベストセラーの『日本でいちばん大切にしたい会社』や、TV番組のカンブリア宮殿などにも取り上げられています。

創業者で代表である中村社長のお話をお聴きしました。

 

一人のお客様から始まる

「一人のお客様がいてくださったおかげで、十人、百人、やがて千人の方が喜んでくださるかもしれないと、夢を持つことができた。」

新規ビジネスの企画を練る時に、何気に使っている「市場規模」という言葉が、何とも自社視点の発言、もっと言えば利己的なご都合主義のコメントだと痛感しました。お客様を自分達の「採算」に合うか否かの規模で判断するという姿勢は、結局のところ、お客様との関係を維持し続けることを難しくし、ひいては離反を招くという事。

自社にとことん頼ってくれる(=信頼してくれる)お客様を、一人、また一人と地道に積み重ねていくことが、400人の町に世界から人を集める企業としての結果につながるのだなと、思いました。

 

 

【ブログ】非効率なことを大事にする  -神々がお集まりの出雲で感じたこと①-

旧暦の11月は神無月の呼称ですが、出雲では「神有月」。全国の神様が集まるこの時期に、大企業ビジネスパーソンの方々と出雲に行ってきました。

目的は多機能自治を推進している雲南市の状況や、日本よりひょっとすると世界で有名な地域企業である、群言堂さんや、中村ブレイスさんのお話をお聴きするためです。

本当に沢山の「神と触れ合うかのような時間」をいただき、実はまだまだ消化しきれていないのですが、逆に、余韻が残っているうちに、印象に残った点を書き残しておこうと思います。

・非効率なことを大事にする

ショーウインドウは勿論、中に入ってもすぐには商品も飾っていない店舗。

所せましと商品が並べられたり、これでもかと来店者の気をひこうとするディスプレイを見慣れた自分には、逆に心が落ち着き、じっくりとお気に入りを探そうという気持ちが生まれてきました。

これはほんの一つの例。

一直線でゴールに向かおうと躍起になっているうちに、実は同じところをぐるぐる回っている。効率や生産性の追求は、実はこんな問題を生み出しているのかもしれないと感じました。

「非効率なことを大事にすることは、長期的にみれば、実は効率的」

群言堂さんからいただいた言葉。噛みしめています。

 

【ブログ】「定年」は起業の適齢期?! ①

「定年」関係を特集したビジネス誌を、これ幸いに?と読み漁っています(^^;)

お金と仕事が、どうやら読者の二大関心事の様子。その中で、まだまだ全体に占める分量が少ない気もしますが、「起業」を扱ったページもあるので、一体どんなことが書いていあるかを、自分の実感と比べてみることにしました。

 

「ゆる起業」

シニア起業のカリスマ指南役となっている片桐美央さん、銀座セカンドライフ代表取締役のコメントとして、数誌に掲載されているキーワード。

実は私も、起業仕立ての頃に、セカンドライフビジネスコンテスト(2015)に参加して、何と”ベストプレゼン賞”をいただいているのです(プチ自慢) …まぁ、そんなことはともかく、この「ゆる起業」の考え方は、3年間やってきた自分の実感としても、良いアドバイス(ヒント)だなぁと思います。

1.楽しいと思える

2.やりがいを感じる

3.経験を生かす

4.利益ばかり追求しない

5.健康が一番

一点、補足とすれば、3の「経験を生かす」は、気づいたら結局そうなっているというのが、良いような気がします。未知の分野にも、面白そうだから、あるいはたまたま縁ができたから飛び込んでみたら、意外に過去の経験が役立ったという方、周りに何人もいます。

 

「起業3年目が分かれ道」

”現役時代の年収に届くのは、開業後2~3年目頃が多く、仕事への手応えを感じると同時に事業継続の分かれ道になるタイミングになります”

ひょえ~っ! そうなんですか? だとしたら弊社は相当に成長スピードがのろいのかも。

”最も危険なのは、赤字が出続けているおにズルズルと投資するパターン”

実際に「定年前後」で起業して、少数派ながら「破たん」してしまった人を知っていいます。でもね、事業が「破たん」しただけで「生活」までは破たんしてませんでした。

成長スピードや、規模の大小を、シニア起業の成否の尺度にしないほうが良いと思います。起業後3年でチェックすべきは、「お客様」が増えてきているかどうか、この一点ではないかなと。事業収入より、お客さんからの信頼の多寡が、事業の継続可否を決めるし、何より自身の”起業満足度”を左右すると思います。

あれ? 「ゆる起業」の話題の割には、堅い結論だったかも。

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参考

『50歳から考えるお金と仕事2017』日経キャリアマガジン

『定年後の幸せマネープラン』日経おとなOFF 2017/11

『定年後の仕事選び』週間東洋経済 2017/9/30

『定年後の歩き方』週間ダイヤモンド 2017/9/2

【ブログ】AIとの差別化はシニアがお得意⁉ AIスピーカーに感じるもやもや

「AIスピーカー」の話題が盛り上がっていますね。私たちの日常生活の中にある「コミュニケーション」の大部分が、今や「機械」を通じて行われているので、これぐらいのものが出てきても、もはや驚きなどないかもしれません。

 

ちょっとお恥ずかしい話ですが、以前、我が家の子供たちのスマホの使い方が尋常でなかったので、激オコしたことがありました。

「人生で最も感受性が高い時期に、スマホの小さい画面だけに閉じこもっているなんて、勿体なさ過ぎない? 道具に使われいて、自分をすり減らしてないの?」

昭和のお父さんの声がどこまで通じたかは分かりませんが、彼らなりに思う事はあった様子。自分自身も、改めて、デジタル・コミュニケーションについて、色々と考えをめぐらすきっかけになりました。

 

そんな折に見つけた本がこちら。

『一緒にいてもスマホ』シェリー・タークル著

(Reclaiming Convesation The Power of Talk in a Digital Age)

 

曰く、”会話を取り戻すことが、人間のいちばん基本的な価値を取り戻す第一歩”,”今の私たちは沈黙から逃げてばかりで、それを味わおうともしない”,”スマートフォンのアプリケーションは…私たちの注意を奪って利益を得ているのだ”

 

このような主張には、恐らく反対意見が凄く寄せられると思います。

「進歩を積極的に受け入れられない、昔は良かった派」「マイナス面だけに着目してプラス面(可能性)を否定する偏屈」等々。

 

でも、昭和のお父さんは、著者のシェリー・タークル氏に激しく同感です。特に、この見方。

”私たちは機械相手に真剣に本物そっくりの会話をする方法を学習しているのだ”

そうなんです。”周りの人が話を聴いてくれないから”、”沈黙の時間に耐えられないから”等と言って「機械」に解決を求めることは、その状態を避けて慣れるだけのこと。ちょっと不快な状態を受け入れる寛容さの先にある人間通しのつながりが無くなるとしたら、それは他人への無関心。マザーテレサの言う、「愛」の反対の状態になるわけですよね。

 

テクノロジーの進歩による、新しい可能性に関して、目をつむる必要は全くないと思いますが、便利だからというだけで失っている大切なものに気づかないのも問題ですよね。

AIスピーカーに「愛」を感じる前に、隣人を愛せる能力が身についているかを確認してみたほうが良いような気がします。

その点、面倒くさい方法で「愛」を得ようと失敗を重ねてきた、今のシニア世代。AIとの差別化にはもってこいの経験を沢山積んでいるのではないでしょうか…愛ある楽観主義でそう思います。

 

【ブログ】コップの水が半分…の比喩がいまひとつなわけ ”脱!「残高」の人生”

「人生100歳時代」が花盛りの様子です。

書籍、雑誌、セミナー、SNS…話題にならない日はないくらい。

”Age100.ing”(人生幾つになっても進行形)を標榜する身としては、ありがたいことなのですが、取り上げ方でちょっと気になるところも。

 

代表例が「老後破産」とか「下流老人」といった”長生きリスク”を煽る内容。あるいは「切れる老人」とか「逃げ切り世代」とかいった”社会のお荷物”的視点での物言い。

 

そりゃぁ、だれだってこれからの人生が不幸になんかなりたくないし、惨めな生活なんてしたくないでしょう。漫然とした不安は持っていて当然なんです。だから「老後資金は3000万円では全然足りない!」とか言われちゃった瞬間にどぎまぎしちゃうんです。

そうなると「今より悪くならないよう」に、真面目にこれから先の人生を考えている人ほど、何とか自分の力で”守ろう”という意識が働くことになります。もっと進むと「自分だけはそうはなるまい」と努力しだしちゃう。

うーん。これって「残高」で人生を生きるってことですよね。

 

「コップの水が半分の比喩がいまひとつなわけ」

「コップの水が半分となった時、あと半分しかないと思う人と、まだ半分もあると思う人がいます」ってお話はご存知ですよね。人生100歳時代としては、”まだ半分”ってことで前向きに! って話の比喩として使われるネタです。でも、”あと半分”も”まだ半分”も、結局「残高」での発想のような気がします。

だって、コップに溢れんばかりの水をこれから注ぐって選択肢だって、あっていいわけですよね~。少なくとも、そんなイメージもっても良いのではないかと。今あるものだけでなく、これからどんどん付け足す。こんな「足し算」の姿勢が、幾つになっても進行形の一つではないかと。

 

ということで、人生100歳時代はまだまだコップに「注ぐ」と。それも水だけでなくてアルコールとか。

…これだと、”飲み過ぎ注意”には気を付けないといけないかもですけどね(^^;)

 

 

【ブログ】デジタル音痴は武器になる…かも?

「今どきのシニアは、デジタル機器も使いこなせないといけませんよ!」

てなわけで、何をいまさらな話題ですが、ビジネスシーンはもとより、日常生活を楽しむには、もはやデジタル機器の使用なくしては考えられない時代になってきています。

人とつながるのも、知識を得るのも、果ては何かを決めるのも、デジタルワールドを介せずしては立ちいきません。

 

で、そんな時代に、昨日、家にスマホを忘れてしまい、気づいたことがあるんです。

「あ、デジタル音痴って意外に武器になるかも」

 

その壱:退屈と向き合う強い心

電車を待つ時間も”惜しんで”スマホに向き合っていたんです。でもそれができない。手持無沙汰の極み。「いいね!」と関われない自分ひとりぼっち感。

これに耐えるしかないわけですよ。デジタル音痴になると「私、暇ですが何か?」と言い切れる力がつきそう。凄くないですか?

 

その弐:研ぎ澄まされる観察眼

することないんで、まずはとりあえず周りをきょろきょろしだします。つり広告とか、まずはコンテンツとして認識できるものから始まり、車窓の景色、乗客のご様子などを眺めます。

へぇ~。ほとんどの人がスマホ見ているんだ。画面には何が映っているんだろう。あの人の風貌からして…デジタル音痴になると「ワトソン君、そんなことは見ているだけでわかるじゃないか」と言えそう。

 

その参:無尽蔵の妄想力

で、色々と考え始めます。何せやることないので。小人閑居して妄想するしかないんです。そのうち、普段思いもついていないようなネタまで行きついたりします。「へへ、こりゃあいいねぇ」

デジタル音痴になって、妄想を重ねると、とっても面白そうな絵がかける構想力につながる気がしませんか?

 

とまぁ、自分のスマホ忘れを棚に上げて、ポジティブに言い訳してみたのですが、意外に本質ついてませんかね(^^)

デジタル断捨離も流行っているようですし、スマホ疲れ/SNS疲れも問い沙汰されてますものね。

明日からは週一で意識的に忘れるかな(^^;)